和紙はり絵|作り方、下絵やイラストのサンプル

押し花の思い出が、和紙はり絵につながった

ようやく気持ちの整理がついて、数年前に他界した母の遺品を整理し始めました。ベッドやタンスは粗大ごみに出し、着物や宝石の類は買取店に持って行くなどして、大きなものはほとんどなくなりました。あとはこまごましたものだけが入ったいくつかの段ボールだけです。段ボールの一つを開けてみると、私が小学生の時に母と作った「押し花」が出てきました。

当時小学生だった私が、夏休みの工作をどうしようかと悩んでいると、母が「アサガオを押し花にしたらどう?」と提案してくれました。お庭には、毎年のように鮮やかな紫のアサガオが咲いていました。その一輪を摘み取って画用紙で挟み、上からすりこぎ棒でトントントンと丁寧に叩いて行きます。するとアサガオの鮮やかな紫が、画用紙の上にまるで絵のように写し出されたのです。

和紙に押し花で「金賞」受賞

私は夢中になってアサガオの押し花を作りました。何回も何回も練習して、ようやく上手にできるようになると、母が「じゃぁ本番。この紙でやってみて。この紙は高いから、チャンスは一度だけよ。」そう言って渡してくれたのが「和紙」だったのです。

当時の和紙は厚みもあるし、凹凸もありました。押し花を作るにはちょっと難しい紙なのです。私は早起きしてお庭に咲く最も色鮮やかなアサガオを選びました。そして気持ちを落ち着かせ、画用紙の倍の時間をかけて丁寧に、丁寧に押し花を作っていきました。

出来上がった作品は、小学校で「金賞」を頂きました。金色の折り紙で作ったリボンをつけられて、教室に飾られました。授業参観の時は他のお母さんから「これ素敵ね」「どうやって作ったの?」と大変好評だったそうです。母はそれを何年も何年も大切に持っていてくれたのですね。

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和紙はり絵でつながる母との思い出

当時の母がなぜ和紙を持っていたのか、その疑問がようやく解けました。母は和紙を使った「はり絵」が趣味だったのです。そういえば母は季節ごとに衣替えや模様替えをしていましたが、その都度、新しい作品に貼り替えていたようです。

記憶に残っているのは5月頃に飾ったバラのはり絵、7月頃の湘南の海、12月頃のトナカイなど、和紙だけではなく、折り紙や包装紙、折込チラシなどを上手に活用して、器用に貼り絵を作っていました。

和紙はり絵の講座に申し込んでみました

私も母の血を引いたのか、還暦が近づいてくるにつれ「はり絵をしてみたい」と思うようになりました。そこでインターネットで検索して、はり絵の講座を探して申し込むことにしました。

思い返せば、母は鉛筆のように使えるカッターで器用に和紙を切っていました。机を傷つけないよう、下敷きにはガラスを使っていたように記憶しています。申し込んだ講座には、当時の母が使っていたようなカッターと、下に敷くマットが付いてきました。付属のカッターで下絵をなぞるようにするだけで、和紙が簡単に切れていきます。そうやって一つ一つのパーツを作り、下絵にそって貼っていくだけなのです。

不器用でも和紙はり絵が作れるようになりました

決して器用ではない私ですが、根気よく続けているうちにだんだん上手に和紙を切れるようになりました。そして切り方や貼り方を工夫することで立体感を持ったはり絵も作れるようになりました。

そうなると、台紙にも気を配るようになってきます。文具屋さんに行って、色鮮やかな色紙を見つけると、創作意欲が湧いてきて、講座の範囲を超えたはり絵を作るようになりました。

季節はまもなく夏。私の家のお庭にも鮮やかなアサガオが咲くでしょう。孫娘が会いに来てくれたら、母を偲びながら、アサガオの押し花を一緒に作ろうと思います。

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